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★ジョニー・デップ特集
ジョニー・デップは記者会見で「これまでの人生では歌ったことがなかった・・・」
ジョニーの歌声は是非聴いてみたいです。
日本公開の日が待ち遠しいです♪
12月3日、米俳優のジョニー・デップ、ミュージカル作品をリメークしたティム・バートン監督の新作映画「スウィーニー・トッド/フリート街の悪魔の理髪師」で歌声を披露。ニューヨークでのプレミア上映会で撮影(2007年 ロイター/Lucas Jackson)
[ロンドン 3日 ロイター] 人気ハリウッド俳優のジョニー・デップ(44)が、ミュージカル作品をリメークしたティム・バートン監督の新作映画「スウィーニー・トッド/フリート街の悪魔の理髪師」で歌声を披露することとなった。
19世紀のロンドンを舞台にした同作品で、デップは主人公の連続殺人犯の理髪師「スウィーニー・トッド」役を演じる。同作品の日本公開予定は、来年1月19日。
(ヤフートピックス引用)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071204-00000864-reu-ent
[Wikipedia参照]
ジョニー・デップ(Johnny Depp、1963年6月9日-)は、アメリカ合衆国の俳優・ミュージシャン。本名はジョン・クリストファー・デップ二世(John Christopher Depp Ⅱ)。身長175cm、体重70kg。血液型はO型。
俗にアウトローと評される出自と、コメディから社会派作品まで果敢に挑戦し幅広く演じ分ける実力、話題の絶えない私生活やファンサービスの良さから常に注目を浴びている、現存する役者の中で最も知名度と人気の高い人物の一人である。
生誕と破滅的な青年時代
ケンタッキー州オーウェンズボロにて、土木技師の父・ジョン・クリストファー・デップとウェイトレスの母・ベティ・スー・パーマーとの間に生まれる。4人兄妹の末っ子で9歳上の兄ダン、7つ違いの姉デビーと2つ違いの姉クリスティーがいる。
家庭の事情で頻繁に転居を繰り返し幼少時だけでも20以上の土地を渡り歩き、7歳の時ようやくフロリダ州ミラマーに定住。しかし1978年に両親が離婚するとデップは多大なストレスと自信喪失から自傷行為を始め、その時の傷跡が現在でも7、8個残っている。さらにデップは14歳の頃からドラッグに手を染め、貧困も重なって、どん底とも言える青年時代を送った。
放浪生活・結婚
12歳の時に母からギターを買ってもらったデップは、どん底の青年時代の中でやがてミュージシャンを志すようになり16歳で高等学校を中退。将来への不安から2週間で復学を試みるも、高等学校の校長が「夢を追いなさい」と激励したため再度ミュージシャンとして生きる決意をし放浪生活を送る。
この頃バンド「The Kids」をリードギタリストとして率い、イギー・ポップの前座も務めた。バンドは商業的に成功を収め、さらに活動を本格化させるべくロサンゼルスに活動拠点を移し「Six Gun Method」と改名し様々なバンドとコラボレーションを行った。近年では、オアシスの曲やローリング・ストーンズのアルバムにもギターで参加したほか、1995年にはバットホール・サーファーズのギビー・ヘインズと共に「P」というバンドを結成しCDを発売した。
音楽活動の中で知り合ったロリ・アン・アリソンと1983年に結婚するも1985年に離婚。
キャリアの始まり ~ ジュニアアイドルへ
アリソンと婚姻関係にあった時に、彼女の元恋人であったニコラス・ケイジと知り合う。その才能を見込んだケイジはデップに俳優への転進を勧めた。その後友人の付き添いとして足を運んだオーディションの会場で出演の打診を受け1984年、ホラー映画『エルム街の悪夢』でデビュー。その後『プラトーン』などで経験を積んだ。当初は仕事に対して消極的であったデップだが、尊敬する俳優のフレデリック・フォレストとの共演が転機となり、本格的に俳優への道を歩み出す。
プロデューサーの説得によりフォックス放送のテレビシリーズ『21ジャンプ・ストリート』に主演。デップは元来テレビに出演することを好まなかったため、終始その演技に小細工を利かせていたが一躍ジュニアアイドルとして脚光を浴びる。それでも自分が商品として扱われることやテレビドラマでの役のイメージに縛られることを恐れたため、活動の場を映画のみとすることに決めた。
アウトロー俳優 ~ 映画初監督
1990年の『クライ・ベイビー』で映画初主演を果たし、同年公開の『シザーハンズ』は大ヒットする。自らの出自に由来するアウトローな作品選びや徹底した役作り、確かな実力、端麗な容姿などデップを認めるものは少なからず存在したものの、その後の出演作品の興行収入と知名度は付随しなかった。
アウトローな作品選びは私生活にも影響を及ぼし、滞在先のホテルで暴れ出し備品を破壊した末に逮捕されるなど、トラブル続きの日々を送った。しかし、ハリウッド・サンセット大通りに経営していたロッククラブ「バイパールーム」で、親友でクラブの共同経営者でもあったリバー・フェニックスがドラッグの過剰摂取により急死したことを機にデップは自らを長らく蝕んでいたドラッグと縁を断ち、以後は『ギルバート・グレイプ』などのヒューマンドラマや『エド・ウッド』といった伝記映画に立て続けに出演し俳優としての実力を身につけた。
俳優業の傍ら、親族の出自(彼の母方の曾祖母は純血のチェロキー族。父も同じくチェロキー族の血を引く)からインディアンの問題に関心を持っていたデップは1997年、共演にマーロン・ブランドを招聘し映画『ブレイブ』を監督した。その後は興行収入こそ話題に上らないものの、質の高い映画に出演を重ね徐々に知名度を獲得していった。
子供の誕生 ~ トップスターへ
1999年、これまでの功績が認められハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれる。
映画『ナインスゲート』で知り合ったヴァネッサ・パラディとの間に長女を儲けたことを機にデップの生活は公私共に急激に変化した(下部詳述)。2003年、子供の勧めにより出演したディズニー/ブエナビスタ共同制作の娯楽超大作『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』で興行面での大成功を収めた上に、子供を儲けたことでアウトローなイメージからの脱却に成功し世界的な規模で爆発的な人気を獲得した。
2004年公開の『ネバーランド』と2年連続でアカデミー主演男優賞にノミネートされ実力派俳優としての地位を不動のものとした。
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